内出城 (うちでじょう)
所在地 群馬県吾妻郡東吾妻町川戸1034 2019.2.3 2.8
内出城 (うちでじょう)
所在地 群馬県吾妻郡東吾妻町川戸1034 2019.2.3 2.8
登城ルート(水色は空堀)
二の丸西の空堀・鉄塔
櫓台・神社
本丸・二の丸間の空堀
本丸東の空堀(北から)
4郭・空堀・3郭(右)
5郭6郭間の空堀
内出城本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 吾妻川右岸の東西約400m南北約100mの規模の台地にあり、畑や民家敷地となっているが、北西の本丸、3郭部分に空堀がよく残っている。
北側より見ると、本丸、3郭、4郭、5郭、6郭の切岸や各郭間の空堀がよくわかる。
【案内】 県道28号線より2の丸の表記番地の台地に向かう。駐車スペースは少ない。鉄塔先に空堀があり、櫓台に神社が建てられている。
道路の東に空堀があり、その北が本丸であり、東の3郭との間に空堀が残っている。
東の八幡神社から北側が4郭であり、道路を挟んで東側に民家の建つ5、6郭がある。
【歴史】 観応年間(1350~52年)頃、秋間氏によって築かれたと云われる。
貞和五年(1349年)秋間貞勝が里見義時との戦いで敗死し、観応元年(1350年)子の秋間泰則は里見義時と再度戦うが敗れ、安中へ逃れた。
延文二年(1357年)、上杉憲顕が新田義宗の挙兵に加担し里見義時を滅ぼしたのち、秋間氏も内出城へ戻ったという。
吾妻三家(秋間・大野・塩谷)の一つに数えられたが、文明年間(1469~87年)岩櫃城主斉藤氏によって攻め滅ぼされた。