野本氏館 (のもとしやかた)
所在地 埼玉県東松山市下野本662 2015.12.19
野本氏館 (のもとしやかた)
所在地 埼玉県東松山市下野本662 2015.12.19
説明板
無量寿寺・標柱
空堀跡
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 無量寿寺(表記番地)の境内一帯が館跡であり、本堂裏に土塁が残る(地図)。以前は2重堀と土塁があった。外側の堀・土塁は後世のものとされる。
また、駐車場南に前方後円墳(将軍塚古墳)がある。
昭和四十九年(1974年)7月10日東松山市の指定文化財となった。
【歴史】 平安時代の公卿藤原基経(836~891年・堀川大臣)の家の警護をしていた片田基親の子基員(もとかず)が武蔵国野本に移り住んで野本左衛門を名乗ったのが野本氏の始まりと云われている。基員は、源頼朝の信頼が厚く、『吾妻鏡』にも登場する。
基員が死去したのは貞永元年(1232年)とされ、また無量寿寺に残されている建長六年(1254年)銘の銅鐘の拓本より、当時無量寿寺が野本寺と云われていたことから、遅くとも13世紀初頭には館が築かれていたと考えられる。
『吾妻鏡』には野本基員のほか、その子時基、時員、時員の子時秀、孫の行時らの名が見える。