佐沼城 (さぬまじょう) (佐沼要害・鹿ヶ城)
最寄地 登米市迫町佐沼内町63-20 2013.11.8
佐沼城 (さぬまじょう) (佐沼要害・鹿ヶ城)
最寄地 登米市迫町佐沼内町63-20 2013.11.8
本丸堀・大手橋
本丸跡・土塁
本丸跡・土塁
権現神社・切岸
旧亘理邸
佐沼城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道398号線と県道36号線の交差点の東40mを左折すると「登米市歴史博物館」((表記番地)駐車場が用意されている[マップコード199 068 894*11] 。
すぐ北に旧亘理邸が保存され、東に堀と崖に囲まれた本丸跡が残り、土塁の上には権現神社が建てられている。本丸跡は鹿ケ城公園として整備され、ぶらんこなど設置されている。東には迫川が流れている。
【歴史】 藤原秀衡の家臣照井高直により築城された。鎌倉時代は葛西氏の支配下の城であったが、戦国時代は大崎氏の持城であった。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置に反対した家臣による葛西大崎一揆で寺池城より木村吉清が逃れてきたが一揆軍に囲まれた。同年、伊達政宗により木村吉清・清久父子は救出された。
政宗が一揆扇動の疑いで京に召喚されると再び一揆軍の手に落ちたが翌、天正十九年(1591年)年、政宗によって奪還された。
一揆平定後、伊達氏の所領となり、湯目(ゆのめ)景康が城主となった。津田氏が7代続いたあと、宝暦七年(1757年)亘理倫篤が高清水城より移り、幕末まで亘理氏の城となった。江戸時代中期に要害になった(伊達21要害の一つ)。