三階城 (さんがいじょう) (安房城) (市の史跡)
所在地 茨城県鉾田市安房 2021.8.19
三階城 (さんがいじょう) (安房城) (市の史跡)
所在地 茨城県鉾田市安房 2021.8.19
説明板
登城ルート(緑線は車道)
道標・左へ
登り口・説明板
空堀
北側の2階部分切岸
主郭・南の土塁
三階城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 主郭の周囲に同心円状に2郭、3郭があり、北西から見ると3層の段に見えることから三階城と呼ばれる。要害城・高野城の支城があり含めて安房城とも呼ばれる。
鉾田市の史跡となっているが、荒れ放題で薮や草木が茂り、主郭以外ははっきりしなかった。
【案内】 県道2号線の「MGM鉾田店」(鉾田市鉾田371)西に道標がある[マップコード162 886 236*24]。
そこより北へ狭い未舗装道を400m程行くと、登り口に説明板が建てられている(地図)。その少し先の右側に三角形の空き地があり、駐車した。
時計回りに堀底道を登って行き、北から段を経て登ると主郭に着く。
昭和四十八年(1973年)10月1日、鉾田市の史跡に指定された。
【歴史】 平安時代末期、鹿島郡徳宿郷に進出した鹿島成幹は、長子親幹(ちかもと)を徳宿城に配して徳宿氏の祖となった。
徳宿氏2代秀幹を経て、秀幹の長子俊幹を安房の地に配し、俊幹は安房(あんぼう)氏を名乗った。次子幹秀(朝秀)を烟田地区に配し、4男幹直は徳宿氏を継承したという。
その後、俊幹の子孫代々が継ぎ応永年間まで続いたが、宮ケ崎氏と共に応永二十三年(1416年)に起きた上杉禅秀の乱に参加して一族は滅んだ。
のち、鹿島氏の老臣額賀大炊助がここに居た。『現地説明板』より。