勝呂氏館 (すぐろしやかた)
所在地 埼玉県坂戸市石井1905 2018.1.20
勝呂氏館 (すぐろしやかた)
所在地 埼玉県坂戸市石井1905 2018.1.20
宗福寺
教覚の板石塔婆
西光寺の勝呂頼阿の宝篋印塔
勝呂氏館跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 宗福寺に隣接して館跡があったとされるが、保育園や住宅地となり、遺構は見当たらなかった。
【案内】 館跡は宗福寺(表記番地)付近と云われる[マップコード14 185 407*47] 。
勝(すぐろ・すぐる) 氏の館に隣接して宗福寺が建てられた。その開山教覚の三回忌・文和五年(1356年)の板石塔婆が保存されている。
西光寺(坂戸市塚越567)の歴代住職の墓内に「勝次郎左衛門入道頼阿」の宝篋印塔(1366年造立)が保存されている。
【歴史】 平安時代末期、武蔵七党の一つ村山党山口氏の一族であった勝呂氏の館跡であった。
永禄五年(1562年)北条氏・武田氏の連合軍と上杉氏の松山城攻防戦において、北条方の勝呂式部少輔が上杉方の太田資正との講和の使者に取り立てられている。『続埼玉の城址めぐり・西野博道著』より。