寺尾城 (てらおじょう) (馬場城)
最寄地 神奈川県横浜市鶴見区馬場3-11-3 2016.1.27
寺尾城 (てらおじょう) (馬場城)
最寄地 神奈川県横浜市鶴見区馬場3-11-3 2016.1.27
説明板
殿山公園
公園奥土塁
高台・説明板
城址碑
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 道路は急坂で、住宅地の中を入り組んでいて駐車スペースも少ない。殿山公園(地図)の東側道路が唯一、駐車に余裕があり[マップコード 4 270*83 ]、そこからの徒歩を勧めたい。
殿山公園の西側に、説明板が建てられ、竪堀に近い空堀・土塁がうかがえる。階段を登った公園最高所に「寺尾城址の発掘」説明板が建てられている。
本丸跡とされる一帯は住宅地となり、西に140mほど行った住宅横に城址碑が建てられている(地図)。
【発掘調査】 殿山公園から西方にかけての丘陵一帯は、寺尾城址として古くから知られていた。平成五年(1993年)12月殿山公園整備事業に伴い、㈶横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターにより実施された。
調査は東西に延びる「空堀」の一部を含めた丘陵頂部の170㎡について行われ、空堀断面はV字形を示し、壁の角度が50~70度と急傾斜で地表面から堀の底まで約3m、底の幅約1mであった。
堀の中には土塁の崩落によると推測されるローム層が多量に堆積し、上層からは宝永年間に噴火した富士山の火山灰が発見された。このことから、この堀は18世紀初頭には大部分が埋まっていたことが明らかとなった。『寺尾城址の発掘』より。
【歴史】 寺尾城は戦国時代、小田原北条氏に仕えた信濃の豪族諏訪氏が、鶴見の寺尾に進出し、永享年間(1430~40年)頃に築城され、諏訪三河守5代にわたる城であった。
永禄十二年(1569年)に武田信玄の小田原城攻撃の際に没落したと云われている。
町名に馬場・諏訪坂などが残っている。『鶴見歴史の会説明板』より。