白石城 (しろいしじょう) (益岡城)
所在地 宮城県白石市益岡町1‐16 2011.7.9 2012.10.7 2020.1.26
白石城 (しろいしじょう) (益岡城)
所在地 宮城県白石市益岡町1‐16 2011.7.9 2012.10.7 2020.1.26
南丸の学校跡・東側登城路
一の櫓門(移築)
木造三重天守東面
天守より1の櫓門方向
二の丸より三重天守
當信寺の移築二ノ大手門
耕龍寺の移築門
白石城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 白石市役所の北の駐車場が利用できる[マップコード569 029 024*13]。西の堀川に沿って南に歩くと、入口になり南の丸に学校跡がある。
北に折れると「白石城歴史探訪ミュージアム」が建っている。本丸石垣の上に三重天守閣(表記番地・1997年木造復元)、一の櫓門(移築)がある。西に二の丸跡がある。
東北大震災で壁の罅が入ったが、平成十二年、市及び寄付により一億円で復旧された。
市内にある當信寺(白石市字本町62)山門として、白石城二の丸にあった二ノ大手門が移築されている。
名取市にある耕龍寺(名取市増田北谷157)山門として、大手門もしくは厩門と云われる門が移築されている。
【歴史】 鎌倉時代以後刈田氏が居住、後に伊達氏の家臣となる。
天正十九年(1591年)会津に転封された蒲生氏郷の家臣蒲生郷成により本格的に築城された。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの際、白石城の戦いが勃発し伊達政宗が上杉景勝から白石城を奪い取って、再び伊達領となり叔父の石川昭光が城代となった。慶長七年(1602年)政宗の家臣片倉景綱が亘理城より移り城主となった。
文政二年(1819年)火災により焼失、四年後の片倉宗景の時、再建された。
慶応四年(1868年)戊辰戦争の際、東北諸藩の代表がここで白石列藩会議を開かれ、奥羽越列藩同盟につながった。