下手渡藩陣屋 (しもてどはんじんや)
所在地 福島県伊達市月舘町下手渡天平30 2020.1.25 2020.4.12
下手渡藩陣屋 (しもてどはんじんや)
所在地 福島県伊達市月舘町下手渡天平30 2020.1.25 2020.4.12
石碑・説明板・懐古碑
御前井戸
陣屋南東部
南側表門跡・石垣
下手渡藩陣屋跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 下手渡天平の高台に築かれており、陣屋桜や離れた位置に御前井戸が残っている。
説明板によると、方向が描かれていないが、広瀬川と見取図「現在地」から判断すると、表記番地の主屋付近が陣屋主殿跡で西方に細長い方形の縄張りの様だ。西側に大手の坂道が描かれており、東屋へ行く道の右側に表門跡の石垣が残っている。
【案内】 国道349号線横に案内看板があり、そこより北東に行くと、T字路があり東側に御前井戸(地図)、西側に陣屋跡の石碑と説明板が建てられている[マップコード446 163 403*62]。
「懐古碑」が建てられ、往時の庭園樹として植えられたという陣屋桜が残っている。
【歴史】 筑後三池藩主・立花出雲守種周は、江戸幕府若年寄の要職にあったが、文化二年(1805年)政治的に失脚しその職を解かれ、隠居蟄居を命じられた。家督を次子順之助(13歳、のち種善)に譲り、翌三年奥州下手渡へ移封され陣屋を開いた。
当時の領地は、下手渡・御代田・小島・小神・羽田・西飯野・石田・牛坂・飯田・山野川の10村1万石であった。種善・種温・種恭を経て、明治元年(1868年)まで63年間続いた。
安政二年(1856年)石田・牛坂・飯田・山野川5千石と三池の旧領5千石と換地した。
小藩とはいえ名家の1つで、種恭は幕末期にあたり幕府の勘定奉行、後に老中格になって大政奉還の大任を果たし、明治政府となってからは学習院の初代院長に就任した。
「懐古碑」は、旧藩士によって明治三十五年(1902年)に建立された。内容は、立花家の系譜、全員玉砕の史話として有名な筑前岩屋城・宝満城の戦い(天正十四年)、下手渡藩への移封、名君と謳われた種温と家老屋山大進による天保の飢饉対策、立花家の気風などが記されている。