下南摩城 (しもなんまじょう) (滝尾山城)
所在地 栃木県鹿沼市下南摩町 2018.1.13
下南摩城 (しもなんまじょう) (滝尾山城)
所在地 栃木県鹿沼市下南摩町 2018.1.13
登城ルート(緑は南の曲輪)
登り口・忠魂碑
南曲輪南の堀切
南曲輪
南曲輪北の堀切
4条目の堀切
北曲輪
北曲輪東下段の郭
下南摩城 北曲輪跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 東に大芦川、西と南に南摩川、小倉川を望む鹿沼市下南摩町の標高225mの浦尾山に北曲輪があり、300mほど南に南曲輪がある。南曲輪背後の4重の堀切は深く見応えがある。
【案内】 県道15号線と県道177号線の交差点北東に招魂社参道があり、鳥居横に駐車できる[マップコード132 040 885*64]。
土台のみで招魂社は見当たらないが、祠が祀られていた。右側よりハイキングコースとなり、堀道を登ってゆく左の竹林に落ち込む竪堀があり、S字に曲がって間もなく、堀切、帯郭等があり「南の曲輪」主郭がある。
東と北に土塁を備え東西約20m南北約40mの広さがある。その背後に堀切、空堀が4条残っている。
緩やかな尾根を登ってゆくと、尾根に堀切や切岸があり「北の曲輪」主郭がある。東西約30m南北約40mの広さがあり、由来記が上下2枚に分かれて置かれていた(写真はつなぎ合わせて撮影)。また立ち木に「滝尾山」「下南摩城跡」の標識が括りつけられていた。
北に10mほど下がって、腰郭があり北端に土塁が認められる。また東に広い郭が2段になって広がっている。北東に少し下ると鏡岩がある。
【歴史】 戦国時代、下南摩は高木讃岐規衡の所領であったが、永正七年(1510年)唐沢山城主・佐野盛綱の家臣赤見広孝を迎え、南摩氏を名乗り、滝尾山山麓に居館を構えた。
天正二年(1574年)赤見広孝の孫・南摩百十郎秀村が滝野山に築城を開始した。天正四年に完成したが、完成を待たずして翌年秀村は病没し、南摩氏の家臣は鹿沼城の壬生義雄(よしたけ)に臣従した。
天正十八年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、南摩氏は壬生氏と共に滅亡した。