牧野陣屋 (まきのじんや) (川田谷陣屋)
最寄地 埼玉県桶川市川田谷5153 2015.12.23
牧野陣屋 (まきのじんや) (川田谷陣屋)
最寄地 埼玉県桶川市川田谷5153 2015.12.23
料金所・薬師堂
仏像等
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 圏央道「桶川北本IC」料金所の東に位置し、国道17号線(上尾道路:部分開通)「川田谷(中)」交差点の東に薬師堂[マップコード14 287 538*00](地図)が建てられている。IC敷設工事に伴う発掘調査が行われ、現在は埋め戻されている。
【発掘調査】 平成十九年(2007年)9月、国道17号線(上尾道路)敷設工事前の発掘調査が行われ、中世・近世に建てられた柱穴や堀の跡が発見されている。陣屋跡中心部に江戸時代後期に建立された牧野氏ゆかりの薬師堂戸数基の仏像、三界萬霊碑等がある。
【歴史】 天正十八年(1590年)徳川家康の関東入封に際し、三河以来の家臣牧野康成(やすしげ)が足立郡石戸領十ヶ村で5千石を拝領し、川田谷に陣屋を築いた。
その後、康成の三男信成(のぶしげ)が家督を継ぎ加増を重ね、寛永十年(1633年)1万1千石で大名に列し、正保元年(1644年)関宿藩1万7千石の城持ち大名となった。
石戸領には信成の次男親成(ちかしげ)が5千石で知行した。正保四年(1647年)信成が隠居し石戸領に戻り、代わって親成が関宿藩主となった。
慶安四年(1651年)牧野信成が没し、石戸領は遺言により親成の弟3人に分与された。
寛政期に旗本の当主は江戸詰めとなり、牧野陣屋は廃止された。『埼玉の城址めぐり』西野博道著より。