牛久城 (うしくじょう)
最寄地 茨城県牛久市城中町444 2014.1.8
牛久城 (うしくじょう)
最寄地 茨城県牛久市城中町444 2014.1.8
説明板
登城ルート
三の丸跡・説明案内板
三の丸側空堀
二の丸側空堀
二の丸跡・土塁
空堀・土橋・本丸虎口
本丸跡
牛久城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 得月院(牛久市城中町258)北の交差点付近に牛久城大手門跡の碑、説明板(地図)が建てられている。
約530m南に行き、東に左折し南に370mほど行くと、三の丸跡(地図)があり、その北西隅に説明板が建てられている[マップコード65 421 107*26]。
2条の空堀の土橋を渡ると、腰郭があり、東に二の丸があり土塁が残っている。
戻って南に行くと、腰郭は細長くなり土橋を渡ると土塁で囲われた本丸跡がある。50㎝ほどの石造の祠がある。
【歴史】 天文年間後半(1550年前後)の佐竹氏の南進を機に岡見氏により築かれた。
元亀元年(1570年)佐竹氏と結んだ下妻の多賀谷氏に攻められ岡見氏の支城である谷田部城と足高城は陥落したが、牛久城は同盟する布川城の豊島氏、小金城の高城氏の援軍を得て守り切った。
天正十五年(1587年)多賀谷氏が牛久城と東林寺城の西に八崎城を築き、牛久城と東林寺城を攻めた。
天正十八年(1590年)豊富秀吉の小田原征伐の東国攻めで開城した。その後秀吉は、由良国繁を牛久城の城主としたが、関ヶ原合戦後の元和九年(1623年)に廃城となった。