長崎城 (ながさきじょう) (長崎館)
所在地 宮城県気仙沼市舘山1丁目2 2019.10.16
長崎城 (ながさきじょう) (長崎館)
所在地 宮城県気仙沼市舘山1丁目2 2019.10.16
登城ルート(緑線は車道)
西側段郭(右に駐車可)
西側の郭
帯郭(東側)
主郭西の堀切
主郭
長崎城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 気仙沼市古町の標高64mの山頂に築かれている。細長い主郭は畑として利用され、南から南西にかけて帯郭が残っている。また、主郭西側に堀切が見られ、西側に階段状の郭が残っている。
【案内】 県道26号線「化粧坂」交差点より北西に約360m行き、西側の坂道を登り(手前の道は極めて狭い)、左折して行くと、城跡西に着く[マップコード193 247 322*27](地図)。そこに駐車できる。
【歴史】 築城時期は不明であるが、赤岩城主熊谷氏の支城として築かれた。熊谷氏は南北朝時代後半には、葛西氏の家臣になっていた。
天文二年(1533年)赤岩城12代直景が主君の葛西氏に背任の嫌疑をかけられ、殺害された事件以降、一族の内紛が続いた。
天正六年(1578年)十二月、月館城4代の熊谷掃部直澄が挙兵し、長崎城主の熊谷直良と合戦に及び、激戦の末、直良は戦死し、長崎城は落城した。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置により葛西氏の滅亡と共に、廃城となった。