丹生城 (にゅうじょう)
所在地 群馬県富岡市上丹生 2020.8.26
丹生城 (にゅうじょう)
所在地 群馬県富岡市上丹生 2020.8.26
登城ルート
搦手の土橋・堀切
2郭北の2重堀切
2郭北の堀切
東下の井戸
主郭北の堀切
主郭
丹生城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 富岡市上丹生の標高290mの南北に伸びた尾根に築かれている。
「富岡市丹生公民館」からの道が大手で、北の「新井山橋」からの道が搦手となっている。
2重堀切や井戸など見どころは多いが、全体的に鬱蒼とした薮状態で主郭、2郭、3郭は蜘蛛の巣も多く踏み込むのも憚られる。
【案内】 上信越自動車道の跨道橋「新井山橋」東詰に入口がありそこに駐車できる[マップコード247 638 450*17]。
舗装道はすぐ砂利道になり堀切から先は狭くなり車は通行できない。堀切・土橋の手前右側に祠があり、土橋から南下すると右側に2重堀切が見える。
さらに南下すると見取り図が建てられ、井戸があり、主郭北の2重堀切が見える。
【歴史】 室町時代、4代鎌倉公方足利持氏より丹生郷の地頭を賜った新田岩松氏が丹生城を築城し、丹生郷支配の拠点とした。
弘治年間(1555~58年)頃の城主は新田景純であるが、永禄年間(1558~70年)の初め、西上野に侵攻した武田信玄の配下になり、景純は甲斐へ移った。
永禄四年(1561年)武田信玄は国峯城を攻略し、小幡信実(重定改)を国峯城に復帰させ上州攻略の拠点とした。
丹生城はその支城として小幡氏の所領となった。