秋葉城 (あきばじょう) (不摩城)
最寄地 栃木県栃木市鍋山町234-3 2015.1.7
秋葉城 (あきばじょう) (不摩城)
最寄地 栃木県栃木市鍋山町234-3 2015.1.7
登城ルート
遠景
主郭西堀切
主郭・由来碑・秋葉神社
三の曲輪西堀切
三の曲輪・土塁
秋葉城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【案内・感想】 県道32号線と県道202号線の交差点を西に行ったバス停付近に「秋葉城入口」の石碑があり[マップコード722 092 606*10](地図)、直進してすぐ右に曲ると、「左秋葉城跡」の標石柱が建てられている。駐車スペースは少ない。
表記番地右の細い道より行った、秋葉神社鳥居が登り口(地図)となっている。南西に谷を200mほど行って右に登る。主郭西の堀切に着き、東の標高約205m比高約100mの尾根に主郭がある。
主郭には「不摩城の由来」の石碑、「秋葉神社」が建てられている。東に堀切、二の曲輪、堀切、三の曲輪と並んでいる。三の曲輪が一番広く西に土塁がある。
【歴史】 仁安二年(1167年)下野の豪族藤原秀郷の9代目・家綱の七男戸矢子(部屋子)七郎有綱が本城唐沢城の北の守りとして築城した。
蓬莱山の天険を背にした階廊型の土塞と峰つづきを堀割で切り、又前方を流れる永野川東岸山麓に、支城・藤沢城を配していた。
麓の根古屋には初代有綱が唐沢城に移った後、2代木村五郎信綱、3代木村政綱が住み、文応年間(1260~61年)には、島津大隅守盛忠が城主となった。
島津盛忠の6代目丹後守親治は小曽戸氏(おそどし)の祖となった。親治の次男は梅沢隼人正を名乗り、梅沢に屋敷(梅沢館)を構え、佐野氏の武将として活躍し不摩城の出城として永野川対岸に藤沢城を築いた。が、その後慶長十九年(1614年)佐野城と共に廃城となった。
その後慶長十九年(1614年)佐野城と共に廃城となった。
秋葉神社は守護神として建立され、廃城後は根古屋の氏神となっている。昭和五十四年五月建之『不摩城の由来』より。