唐梅館 (からうめだて)
最寄地 岩手県一関市東山町長坂北山谷247 2017.10.25
唐梅館 (からうめだて)
最寄地 岩手県一関市東山町長坂北山谷247 2017.10.25
登城ルート(緑線は車道)
県道106号横の林道入口(北口)
館跡入口
2郭(的場)
的場・主郭切岸
主郭.土塁
初代城主供養碑
唐梅館跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m(林道入口より)】
【感想】 砂鉄川右岸の標高249.4mの唐梅舘山頂上にあり、主郭を中心に西に的場、北に馬留場などの郭を配し、主郭には土塁が残っている。
【案内】 県道106号線に唐梅館総合公園入口がある[マップコード308 330 502*62](地図)。林道を登り詰めると館の北側に出、駐車スぺ―スがある(地図)。又は総合公園内にある「東山総合体育館」(表記番地)横より北へ伸びる林道からも行ける。
道標に従って南へ行くと、北の郭に出、右に登ると的場跡に着く。的場跡は東西に細長く、東側に池があり上段に広い主郭がある。主郭北に土塁が残り、「唐梅館」の標柱と初代城主頼胤の供養碑、説明板が建てられている。
【歴史】 文治五年(1189年)源頼朝の奥州藤原攻めで軍功のあった千葉介常胤の7男頼種が磐井郡長坂を賜り、その子・良胤が築いたと云われている。
平泉藤原氏滅亡から天正十八年(1590年)まで約400年間にわたる長坂千葉氏歴代の居城であった。
長坂千葉氏は葛西時代、磐井・江刺・胆沢・気仙・本吉など各地で勢威を誇った千葉を名乗る諸将の宗家と云われる。
天正十八年(1590年)四月十七日、葛西氏配下の諸将が参集して豊臣秀吉の小田原征伐への参陣を議した。