高田城 (たかたじょう)
最寄地 群馬県富岡市妙義町下高田458 2020.9.8
高田城 (たかたじょう)
最寄地 群馬県富岡市妙義町下高田458 2020.9.8
登城ルート(緑線は車道)
ゴルフ場北側の道(この先より入る)
北側の段郭
主郭南西側の土塁(ゴルフ場が見える)
主郭
主郭東の土塁
高田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 富岡ゴルフ倶楽部の北側丘陵先端にあり、主郭は広く土塁を巡らせ東側が少し高くなっている。北側に段郭が6段ほど見られる。
放置された竹林や山林で薮化しており、石宮付近から登ろうとしたが薮がタイトでとても入れず、ゴルフ場横から何とか辿り着けた。
【案内】 県道47号線の表記番地北側に駐車スペースがある[マップコード247 671 011*18]。表記番地東の細い道を入り、真っ直ぐ坂道を登って右に行くとコンクリート基礎の上に石宮がある(地図)。
舗装道を登って行くと、富岡ゴルフ倶楽部北側の道に出、ゲートの反対側左手にプレハブが置かれている(地図)。
そこから、土手を登り、下って行く山道があり、再度登ると段郭に出る。南側に登って行くと竹林となった主郭があり、土塁上を歩いて行ける。
【歴史】 源頼光の後裔が高田郷に住み高田氏を名乗ったのが始まりとされる。
室町時代、高田氏は関東管領上杉氏に従い、天文十六年(1547年)武田信玄は志賀城を攻めた。
志賀城主笠原清繁は上杉憲政の援軍を頼みにし、志賀城には上野国の武将・高田憲頼が援軍として入ったが、討ち死にした。
その後、武田信玄の上州侵攻が始まり、高田氏は高田城に拠って抵抗したが、永禄四年(1561年)武田氏に降った。
天正十年(1582年)武田氏の滅亡後、北条氏が上野国に進出するとその配下になり、天正十八年(1590年)北条氏が滅亡すると、徳川家康に仕え旗本になったという。