宮野城 (みやのじょう) (宮野館・臥牛城)
所在地 宮城県栗原市築館下宮野館 2021.5.24
宮野城 (みやのじょう) (宮野館・臥牛城)
所在地 宮城県栗原市築館下宮野館 2021.5.24
登城ルート(緑線は車道)
右へ(臥牛公園)
櫓台上の由来碑・忠魂碑・宮野神社
本丸(臥牛公園)
二の丸
本丸三の丸間の箱堀
三の丸
宮野城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 栗原市築館下宮野館の標高約66mの山頂に築かれており、3つの郭から構成されている。
本丸は南北に細長い臥牛公園となり、北の土塁上に由来碑や宮野重信公の廟が祀られている。
三の丸との間に鬱蒼としている箱堀があり中央に仕切り土塁が残っている。三の丸北東尾根に堀切が見られる。
【案内】 国道4号線「宮野」交差点より県道42号線に入り、200m程行った信号を右折する。
120m東を左折して「おむすび保育園」(栗原市築館下宮野町10)前に駐車できる[マップコード141 887 784*66]。
保育園前に代官所跡の説明板が建てられている。その先のY字路を右に登り、「宮野館児童遊園」前を通って東に行き、折り返すと臥牛公園に着く。
臥牛公園が本丸で、北側に由来碑、忠魂碑、宮野神社(宮野重信公の廟)が祀られている。
宮野館の標柱から北に下ると左に二の丸があり、仕切り土塁のある箱堀の北に三の丸がある(地図)。
【歴史】 文治五年(1189年)の奥州合戦後、葛西清重は戦功により胆沢郡、磐井郡、牡鹿郡などの所領を賜った。
葛西清重の4男・重信はこの地を与えられ、宮野氏の祖となった。
天文年間(1532~55年)には宮野豊後守定弘の居城と云われる。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉による奥州仕置で葛西氏が改易され、伊達政宗の領地になると、宮野氏は伊達氏の家臣となった。