郷原城 (ごうばらじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡東吾妻町郷原912 2013.11.20 2019.2.8
郷原城 (ごうばらじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡東吾妻町郷原912 2013.11.20 2019.2.8
登城ルート
潜龍院跡石垣
北尾根・本郭
本郭跡
南2段目の郭
南東端の堀切
郷原城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 「古谷集会所」の向かいの表記番地の前に「岩櫃登山道駐車場」が用意され、案内地図がある[マップコード295 470 773*24](地図)。
北東に約300m行くと標識が建てられている。東に赤岩通り登山口を登っていく。
300mほど行った「赤岩通り登山道」の東、岩櫃山を背にして武田勝頼を迎える筈だった潜龍院跡(古谷館跡) の石垣が残る。
岩櫃山の奇岩群と紅葉を楽しみながら更に東へ登って行くと、岩櫃山に続く尾根に出る。駐車場より歩行距離約1km比高約70mの尾根の南に本郭がある。
南東に2段になった郭があり、南東下段に竪堀が残る。その先に浅い堀切があり、細長い郭の南東端に幅広の堀切がある。
搦手虎口は潜龍院跡の方を向き、追手虎口は郷原榛名神社に向いている。
平成四年(1992年)、当時吾妻町教育委員会の測量調査の時、富沢美昭氏によって発見された。一部『現地説明板』より。
【歴史】 天正十年(1582年)真田昌幸が武田勝頼を迎えようとして、御殿(潜龍院)と共に築城したものと思われる。しかし勝頼は天目山で自刃した為、御殿と共に放置された。
御殿は昌幸の一族・根津潜龍斎という山伏が拝領、寺とし「巌下山潜龍院」と号して明治に至り、明治十七年(1884年)にその護摩堂が顕徳寺(原町)の本堂となっている。