猪俣城 (いのまたじょう)
最寄地 埼玉県児玉郡美里町円良田508 2017.11.26
猪俣城 (いのまたじょう)
最寄地 埼玉県児玉郡美里町円良田508 2017.11.26
登城ルート(緑線は車道)
4叉路の標識(鐘撞堂山へ)
尾根の鐘撞堂山の標識(北へ行く)
2郭切岸
主郭と2郭間の土橋・堀切・竪堀
主郭
主郭北東の堀切
主郭北西の郭
北西尾根の堀切
猪俣城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【感想】 鐘撞堂山より北に伸びる尾根の標高305mの山頂にあり、3つの郭と附属曲輪より構成された連郭式の山城となっている。西方約1.8kmには虎ヶ岡城がある。
2郭と主郭の間に空堀・土橋が残り、右側は竪堀となっている。また主郭の北東に堀切がよく残っている。主郭北西下段に細長い郭があり、その北西に2重堀切が残っている。
【案内】 県道349号線に面した「円良田特産物センター」(表記番地)に駐車できる。または、北約100m先より右折して約300m行った「鐘撞堂山登り口」左に1台駐車スペースがある[マップコード150 800 414*73](地図)。
登り口から軽トラ1台がやっと通れる道があり500mほど登った4叉路に標識が建てられている。
そこより東に約700m登って行くと鐘撞堂山との尾根に出、左(北)に登る。ピークを越えると間もなく2郭切岸が見え、登ると笹に覆われた2郭があり、北に空堀・土橋があり、右側は竪堀となっている。
少し高く主郭があり、北東下段の尾根に堀切がある。また北西下段に細長い郭があり、北西の尾根に2重堀切が残っている。
【歴史】 室町時代、武蔵七党の一つ猪俣党の6代猪俣兵庫頭入道によって築かれたと云われる。
戦国時代、猪俣氏は北条氏に属していた。猪俣城、虎ヶ岡城も北条氏邦の鉢形城の支城として機能したと考えられる。
天正十七年(1589年)名胡桃城には鈴木重則が城代として入り、同年十一月、沼田城代となった北条方の猪俣邦憲が、重則の家臣を寝返らせて名胡桃城を奪取した(名胡桃城事件)。これが惣無事令に違反したとして豊富秀吉の怒りを買い、翌、天正十八年(1590年)に小田原征伐が行われるきっかけとなった。