唐松城 (からまつじょう)
最寄地 秋田県大仙市協和境唐松岳44−2 2017.10.28
唐松城 (からまつじょう)
最寄地 秋田県大仙市協和境唐松岳44−2 2017.10.28
登城ルート(緑線は車道)
中世の館唐松城
中世の館唐松城
石碑
主郭・唐松神社元宮
主郭北郭間の堀切
北郭
唐松城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【感想】 大きく蛇行する淀川右岸の標高103.7mの丘陵先端部に築かれており、山裾に「中世の館唐松城」の中世風の模擬館が建てられ、水堀のある観光施設となっている。
唐松神社元宮のある主郭があり、北の郭との間に堀切、西斜面に畝状竪堀が残っている。
【案内】 国道13号線より市道に入り唐松神社前を通って、淀川を渡った所に「中世の館唐松城」(表記番地)が建てられ、駐車場が用意されている[マップコード303 383 599*26](地図)。
「中世の館唐松城」の右側の鳥居から登ってゆくと、城跡に着く。主郭南側には階段状の郭があり、石碑が建てられている。
【歴史】 平安時代末期、陸奥国郡司・安倍貞任の弟境講師官照がここに館を築き一帯を支配していたが、康平六年(1063年)前九年の役が起き、源頼義・義家の攻略に遇い落城したという。
また、室町時代末期、この地は安東、戸沢、小野寺の境目となり、覇を競ったが、淀川を挟んで秋田寄りは安東氏の支配下にあったと推定され、唐松城も安東氏の前線基地と考えられる。
天正十五年(1587年)にはこの地で各勢力が激突し、唐松野合戦が起きた。安東愛季は戸沢盛安と組み小野寺義通を排しようとしたが、戸沢盛安は逆に進軍してきた安東軍に戦いを挑んだ。3日間に及ぶ激戦の末、安東氏が敗退し、戸沢氏の勝利に終わった。