世良田館 (せらだやかた)
最寄地 群馬県太田市世良田町3119−1 2024.10・11
世良田館 (せらだやかた)
最寄地 群馬県太田市世良田町3119−1 2024.10・11
世良田東照宮
説明板
空堀(南端折れ部分)
空堀(中央)
空堀(北端L字部分)
世良田館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 世良田東照宮西側の南北に細長い芝生広場にあり、南北約80mの空堀が昭和62,63年の発掘調査後に復元され、往時をわずかに偲ぶことが出来る。
【案内】 世良田東照宮(表記番地)の南側に駐車場が設けられている[マップコード34 303 789*68]。「新田荘歴史資料館」の西側に芝生公園があり、その中央付近に説明板が建てられ空堀が復元されている。
寛永二十年(1644年)三代将軍徳川家光公は世良田が徳川氏の先祖・得川氏の地ということから、日光東照宮古宮(元和年間造営の奥宮)を移築され、世良田東照宮となっている。
【歴史】 南北朝時代の武将・世良田義政の館である。義政は新田氏の一族で、岩松政経の長男として生まれ、岩松経家の兄にあたる。
元弘の乱では新田義貞に従い、戦功を建てた。後に足利氏に従うが、南朝に通じていると疑われ、1364年長楽寺で自害した。