楢岡城 (ならおかじょう) (上ヶ土城)
最寄地 秋田県大仙市南外揚土139 2016.6.8
楢岡城 (ならおかじょう) (上ヶ土城)
最寄地 秋田県大仙市南外揚土139 2016.6.8
登城ルート(緑線は車道)
入口・説明板
馬場跡
三の丸跡・土塁
二の丸空堀跡
二の丸跡
本丸跡・土塁
本丸北の空堀
楢岡城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 雄物川の支流楢岡川に架かる「揚土(あげつち)橋」を渡ると、正面に「楢岡城址」の碑が建てられている。正面の小高い森が城跡である。
左に進んで行った常泉寺(表記番地)に駐車し[マップコード138 810 895*42] 、山門の右手に説明板、入口階段がある。
登るとすぐに馬場跡があり祠が祀られている。右より登れば三の丸跡で、土塁、井戸跡がある。
馬場の左より三の丸下を行くと、土塁空堀があり、堀切がある。さらに行くと空堀があり登ると、右に土塁を備えた二の丸跡がある。
左(北)に行くと本丸跡があり北端に土塁があり、その先に深い空堀が残っている。
【歴史】 戦国時代、佐原太郎時連の城であったが、長禄二年(1458年)小笠原氏が佐原氏を討って、楢岡城(上ヶ土城)に入り、楢岡氏を称した。
楢岡右衛門は角館の戸沢氏と姻戚関係を結び重臣となり、横手の小野寺氏の前衛拠点として、四囲にその威勢を張っていたと云われる。
楢岡左馬介が戸沢氏の配下となったことで、楢岡氏は戸沢家中において家臣化していった。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦い後、戸沢氏の移封と共に北浦郡を去った。