志苔館 (しのりたて) (国の史跡)(道南十二館)
最寄地 北海道函館市志海苔町239 2014.8.4
志苔館 (しのりたて) (国の史跡)(道南十二館)
最寄地 北海道函館市志海苔町239 2014.8.4
阿伊努(左)和人(右)殉難慰霊碑
入口・志苔館跡碑
木橋・土橋・二重空堀
外側空堀・土塁
内側空堀・土塁
館内・土塁
南東側土塁
志苔館跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 函館市志海苔町の津軽海峡を望む丘陵南端に築かれている。
国道278号線の志海苔八幡神社(表記番地)東90m、橋を渡った先を北に、150m登った所に入口がある[マップコード86 053 568*40](地図)。その先に1台分の駐車スペースがある。
西側の一段低い所に阿伊努と和人の殉難慰霊碑が建てられている。門跡入口の西に二重の空堀が設けられ、木橋・土橋がある。北、東、南は自然の地形を利用している。
平坦部は東西70~80m、南北50~65mで約4100㎡ある。高さ2~4m・巾10~15mの土塁に四方を囲われている。十四世紀から十五世紀にかけてあった掘立柱建物跡が平面復元され、井戸が残る。北側には「留目政治先生」頌徳碑・「志苔館墟跡」碑が並んでいる。
はるばると尋ねて来た甲斐があり、土塁上からは南に津軽海峡の絶景が望める。
【歴史】 松前藩の史書『新羅之記録』によると、室町時代頃、道南地方には十二の和人の館があり、志苔館もその一つで小林太郎左衛門良景が居住していたことが記されている。
康正二年(1456年)志苔館付近でアイヌの蜂起があり、この戦いにより翌年の長禄元年(1457年)五月十四日志苔館が攻め落とされた。
戦いの後、再び小林氏が館に居住していたが、永正九年(1512年)四月十六日アイヌの蜂起があり、志苔館は陥落し、館主の小林彌太郎が討死したと云われている。その後は、小林氏が松前藩に従属したために、志苔館は廃館となった。
昭和九年(1934年)8月9、日国の史跡に指定され、昭和五十二年(1977年)4月27日、腰郭濠、溪沢全体も追加指定された。