小国城 (おぐにじょう)
最寄地 山形県西置賜郡小国町小国小坂町616 2016.8.7
小国城 (おぐにじょう)
最寄地 山形県西置賜郡小国町小国小坂町616 2016.8.7
登城ルート
旧小国小学校
西の丸南西の土塁内側
登り口
北側の段郭
主郭(左)・堀切
南側堀切
南の曲輪・鉄塔
小国城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 小国町大字小国小坂町にあり、横川左岸の標高227.4mの山頂に築かれている。
通路一帯は草が刈られていたが、その他は放置され、おまけに夏場で草木が茂って踏み込めなかったが、階段状の郭や堀切が見られた。
麓の居館跡は横川がL字の曲がる地点に突き出た、旧小国小学校一帯で江戸時代には御役屋が置かれた。遺構は少ないが西の丸跡の土塁がL字型に残っている。
【案内】 国道113号線に面した道の駅「 白い森おぐに」(表記番地)の東300mに道の駅の看板がある[マップコード555 553 191*10]。その北に砂利道があり、少し入った最初の電柱横に登り口がある(地図)。道の駅から国道を徒歩で来られる。
暫く南に行くと、登り坂となるが階段が設けられ迷うことはない。頂上手前に段郭があり、頂上に小国城主郭がある。
南に行くと堀切があり曲輪に東北電力鉄塔が建てられている。
鉄塔の最上部に航空標識灯が点滅しており、日中でも遠くから城山の位置を確認できる。
麓にあった小国御役屋は東に1.2km離れた旧小国小学校(小国小坂町382)付近とされ、西方の西の丸跡に土塁がL字型に残っている[マップコード555 524 254*86](地図)。
今回、土塁の西側に住まわれている小国城に詳しい方に城山の場所を教えて頂いた(感謝)。
【歴史】 奥州藤原氏の一族・藤原俊衡が居住したと、云い伝えられている。
戦国時代、伊達氏の家臣粟生田氏・上郡山氏が在城し、伊達領の「境目の城」を守っていた。
慶長三年(1598年)小国が上杉景勝領になると、奈良沢主殿助が城代に任じられ、その後、松本伊賀守助義が城代となった。
元禄五年(1692年)城代は御役屋将に改められ、明治三年(1870年)西条舎人秀興が罷免されるまで、34人の御役屋将が居住した。