久保田城 (くぼたじょう) (窪田城)
所在地 千葉県袖ケ浦市久保田3212 2018.9.24
久保田城 (くぼたじょう) (窪田城)
所在地 千葉県袖ケ浦市久保田3212 2018.9.24
城跡標柱
成龍寺本殿
成龍殿
城址碑(右の石碑の右下)
説明板
久保田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 県道300号線の城跡標柱付近が主郭跡で、北西側の2つの郭が成龍寺敷地となっており、遺構は消滅している。椎津城の南西約2.4kmに位置している。
【案内】 県道300号線に面した成龍寺(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード49 736 627*46]。
県道300号線南東の交差点南に「久保田城跡」の標柱が建てられている(地図)。
また、本殿西側の北西入口付近に城址碑が建てられている。
【歴史】 築城時期は定かでないが、房総武田氏(真里谷氏)の椎津城の出城の1つとして築かれた。
天文二十一年(1552年)「椎津合戦」の後、北条氏と下総方面に進出する里見氏との間で何度も椎津城の争奪戦が繰り返された。
元亀年間(1570~73年)頃、里見氏により再利用されたとされる。
天正年代後半の椎津城やその前面の久保田城は、小田原北条氏にとって里見支配領域との境目を押さえた重要な城であったため、北条氏は、ここに原氏や高城氏、酒井氏といった有力武将たちに交代で城番を命じている。
天正十八年(1590年)の小田原征伐による豊臣軍の房総侵攻により、椎津城が落城したことから、久保田城もその際落城した『上総町村誌』。