青鳥城 (おおどりじょう) (県の史跡)
所在地 埼玉県東松山市石橋 2013.9.28 2018.1.30
青鳥城 (おおどりじょう) (県の史跡)
所在地 埼玉県東松山市石橋 2013.9.28 2018.1.30
登城ルート
二の郭
主郭・霊神碑
主郭北西の土塁
北側空堀
西側空堀
主郭南東櫓台・雷電社
主郭東側空堀
青鳥城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 東松山市石橋の関越自動車道西に主郭、二の郭を配した平城である。主郭の南側は切岸となっており、他の三方に空堀・土塁がよく残り、北西隅の櫓台に社、南東隅の櫓台に雷電社が祀られている。
規模は東西約550m、南北約300mの広大な面積を占め、その構造配置から主郭が先ず築城され、後年二・三郭が増築されたと考えられている。
【案内】 国道254号線の関越自動車道「東松山IC」より国道254号線を西へ約560m行った「きじやま」交差点を大きく右折北に約370m行くと、二の郭北東に説明板が建てられ見学者駐車場が用意されている[マップコード14 390 505*65](地図)。
主郭は約100m四方で南面は崖となり、他の三方は空堀、土塁で囲われている。一部野菜畑となっているが、南西虎口に「青鳥城址」、中央に「青鳥城跡霊神」の石碑、南東に雷電社が建っている。
関越自動車道が横切り、跨道橋を渡った東に三の郭があり、応安二年(1369年)建立の「虎御石」と呼ばれる板石塔婆がある(地図)。
昭和九年(1934年)3月31日、埼玉県の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代については、『源平盛衰記』に源頼朝が武州月田川の傍、青鳥野に陣をとる(寿永二年・1183年)とあり、主郭は12世紀末には築城されていたと考えられる。
築城当初の居城者は定かでないが、『妙昌寺縁起』には建武元年(1334年)青鳥城主として藤原斎心入道利行がみえ、後北条時代には山田伊賀守直安が在城したと伝えられている『東松山市教育委員会説明板』。
文明十二年(1478年)扇谷上杉定正と太田道灌が陣を敷いたと伝えられている。
永禄六年(1563年)の松山城の戦いで北条氏康の城として使われた。この後に廃城となった。
天正十八年(1590年)の小田原の役では松山城を攻める前田利家が、廃城の地に陣を構えた。