田小屋館 (たごやたて)
最寄地 福島県二本松市渋川西角16 2018.7.4
田小屋館 (たごやたて)
最寄地 福島県二本松市渋川西角16 2018.7.4
登城ルート
入口・説明板
土橋・虎口
土橋右側の空堀
中段の郭・土塁
上段の主郭
主郭西の高土塁
南の郭・民家への道
田小屋館跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 二本松市渋川の南北2つの丘陵に築かれているが、南の丘陵には目立った遺構には見られない。それに引きかえ北の丘陵には深さ2~4m長さ200mほどの空堀が残っている。倒木や草木で鬱蒼としており歩きづらいが、3段の曲輪に切岸や土塁がよく残っている。
【案内】 県道147号線の表記番地斜め向かいに説明板が建てられ、その左より荒れているが山道への入口がある[マップコード129 761 440*83](地図)。
山道を東に行くと、長い空堀と土橋がある。虎口を入り、北に行くと1mほどの段差の郭があり北から西にかけて土塁が残っている。
東に行くと高さ約4mの切岸があり登ると、北側に土塁が残っている。さらに東に行くと南北に伸びた高い主郭の土塁がよく残っている。北側と東側は低い土塁が見られる。
南の郭には南西側から民家(廃屋)に通じる道があり、民家手前より林道を左に行き、右に登ると最高所に達するが、草木に埋もれており遺構は掘削された窪地がある程度で多く見られない。
【歴史】 二本松城主二本松(畠山)氏の家臣・遊佐丹波守、下総守の居城と云われる。
天正十三年(1585年)伊達政宗が二本松城主二本松義継を攻めたときに伊達成実によって攻略された。伊達成実が二本松城代になった後は、その家臣遊佐新右衛門が居城とした。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置によって蒲生氏郷が会津に入ると、蒲生氏の家臣・野田正勝が千石を領して田小屋城主となった。