日尾城 (ひおじょう) (町の史跡)
最寄地 埼玉県秩父郡小鹿野町飯田2174 2018.9.6
日尾城 (ひおじょう) (町の史跡)
最寄地 埼玉県秩父郡小鹿野町飯田2174 2018.9.6
登城ルート(緑線は車道)
登り口・橋
牛首峠の切通し
土橋
主郭・土塁
日尾城山八幡社
北側堀切
日尾城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【感想】 観音山から北西に伸びた標高551mの2つの山頂とその間に築かれている。
牛首峠の切り立った岩場は堀切かどうかわからないが、主郭北尾根に1条の堀切が見られる。
【案内】 国道299号線より水子地蔵寺(表記番地)に向かう。そこからトンネルを抜けて約600m行き観音院駐車場を利用する[マップコード534 744 467*08]。
駐車場北に登り口があり、沢に沿って橋を5枚渡って約500m遡ると、「岩神滝・牛首峠」の標識が建てられている。そこより右に急な沢の右側を登ってゆくと、牛首峠に出る。手前を左(西)に登ってゆくと、2段の出郭があり、土塁が見られる。
戻って、牛首峠の岩場を東に登ってゆく。土橋があり、少し登ると「炭焼き窯跡」があり、その先に4段の郭が並んでいる。
尾根を右に行くと観音山へ至り、左側に登ると、長径10mほどの狭い主郭があり、北側の土塁上に「史蹟日尾城跡之碑」が建てられ、「馬上城山八幡社」、少し下がって「日尾城山八幡社」が祀られている。南側向かいの山頂にも郭がある。
主郭東側に腰郭があり、北側に堀切とその先に細長い郭がある。
昭和三十七年(1962年)9月20日、小鹿野町の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は定かではないが、文明十年(1478年) 扇谷上杉氏の家宰太田道灌が鉢形城を攻め、長尾景春は塩沢城へ逃れるが、一時この日尾城にも籠もったと伝えられる。
永禄年間(1558~70年)には鉢形城の支城として北条氏邦の臣・諏訪部定勝の居城となった。
永禄十二年(1569年)武田信玄の部将山県昌景の攻撃を防いだが、このとき定勝は酒宴で泥酔し、奥方が替わって陣頭指揮を執ったとの逸話が残っている。
『寛政重修諸家譜』によれば、定勝は天正十六年(1588年)53歳で没し、定勝の子定吉が後を継いだ。
天正十八年(1590年)小田原の役により鉢形城の落城に伴い、日尾城は廃城となった。
諏訪部定吉は小田原落城後も北条氏直に従い高野山へ同行し、天正十九年(1591年)十一月氏直没後、徳川家康に仕えたという。