新井田城 (にいだじょう) (新田城) (にいだじょう)
所在地 青森県八戸市新井田館平10 2014.8.13
新井田城 (にいだじょう) (新田城) (にいだじょう)
所在地 青森県八戸市新井田館平10 2014.8.13
説明案内板
八幡宮入口・説明案内板
八幡宮・城跡碑
八幡宮
外館の大館児童館・新井田小学校
新井田城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 新井田川(にいだがわ)を渡って県道251号線を約350m行った信号交差点より南東へ細い道路を約200mゆくと、鳥居横に、説明看板が建てられている[マップコード346 557 653*16]。
南へ少し行き、左に登ってゆくと「新田八幡宮」(表記番地)がある。
標高38mの本丸跡には、八幡宮・大館児童館があリ、新井田小学校(八戸市新井田館平20)西の道路まで東西150m南北130mの規模であった。西側は崖となり新井田川が流れている。
新井田小学校とその南の宅地部分が外館となっていた。
【歴史】 南部師行が根城を築いた間もない時期に根城南部氏2代政長(師行の弟)の次男政持により築かれた。
一説によると、北方500mの古館に入り、後に当城に入ったともいう。子孫は代々新田 (にいだ) 氏を名乗り、南部家の重臣として活躍した。
三戸城の南部信直が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、本領安堵後は、根城もその支配下に入り、寛永四年(1627年)22代直義の時、伊達藩との国境を守る為と称して、遠野城に移り、新田氏12代義実もこれに従った。
八戸藩六代藩主信依(のぶより)は、明和三年(1766年)隠居の5代藩主信興のために新御殿をここに建てた。