戸崎城 (とざきじょう) (市の史跡)
所在地 茨城県かすみがうら市戸崎 2015.2.21
戸崎城 (とざきじょう) (市の史跡)
所在地 茨城県かすみがうら市戸崎 2015.2.21
説明板
南側空堀
本丸・土塁
祠
腰郭
戸崎城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「大前集落センター」(戸崎1567の東)に駐車できる[マップコード65 888 213*25]。その東にすぐ空堀があり、説明板が建てられている。
空堀の南が二の丸跡で畑となっており、その南に中城、外城と呼ばれる曲輪があった。
一方空堀の北の本丸は、東西約50m、南北約110mの広さがあり、畑として利用され、北端に石祠があり、低い土塁が残っている。本丸の西側下段に腰郭が残っている。
市の指定史跡になっている。
【歴史】 築城時期、築城者は明らかでないが、応仁の乱(1467~77年)頃、小田氏の有力な家臣戸崎大膳亮が居を構えたと云われている。
その後、天正元年(1573年)佐竹氏の攻撃を受け、八月宍倉城と共に落城した。一説によれば天正五年(1577年)戸崎城奪還の戦いがあり、大膳は討死したとも伝えられているが、結局佐竹氏の支配下に入った。
文禄四年(1595年)家臣の飯塚兵部少輔が管理するところとなり、慶長七年(1602年)佐竹氏の秋田国替えによって、廃城となった。『かすみがうら市教育委員会説明板』より。