阿岨城 (あぞじょう) (阿曾城) (村の史跡)
最寄地 群馬県利根郡昭和村橡久保346 2019.3.24
阿岨城 (あぞじょう) (阿曾城) (村の史跡)
最寄地 群馬県利根郡昭和村橡久保346 2019.3.24
城跡碑
南側の空堀
城跡標柱・説明板
北側の郭
北側の空堀
阿岨城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 】
【感想】 森下城の東北東約1kmに位置し、片品川左岸に築かれた崖端城で、空堀が南北によく残っている。南方約4.5kmには長井坂城がある。
城跡はよく手入れされ一望でき、堀や郭が見やすくなっている。南側の郭の崖側には柵が設けられているが、以前はもっと広く、崖崩れで現在のように狭くなったと思われる。
【案内】 関越自動車道「昭和IC」より左折し約1km東の行き、左折約1.1km北に行き、左折農道を西に行き関越自動車道を越えて、表記番地に向かう。
崖を下る手前を、右折すると城跡が見えてくる。城址碑の先に駐車場がある[マップコード183 443 670*27]。
南北に低地を挟んで2つの郭があり、その両側に空堀が見られる。西側は畑地に続きはっきりしない。
昭和五十四年(1979年)3月22日、昭和村の史跡に指定された。
【歴史】 阿岨(曾)城は、天正年間(1573~92年)初頭、沼田城を守る支城の一つとして築かれた。
天正元年(1573年)沼田顕泰(万鬼斎)は幕岩城から蔵内(沼田)城へ移ったが、万鬼斎の愛妾ゆのみの兄・金子美濃守に阿岨城が与えられた。
天正十年(1582年)北条氏邦が長井坂城、阿岨城、鎌田城(森下城)を次々に攻略した。
『加沢記』によると、阿岨城では北条勢3千騎の夜討ちに遇い、金子美濃守は騎馬もろとも谷を滑り落ち、蔵内城へ逃れたという。