中山城 (なかやまじょう)
最寄地 山形県上山市中山3152 2015.6.11
中山城 (なかやまじょう)
最寄地 山形県上山市中山3152 2015.6.11
登城ルート(緑線は車道)
御役屋跡・登り口
三の丸・土塁
二の丸・本丸切岸
本丸跡
天守台石垣
天守台・石碑
中山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【案内・感想】 県道51号線に面した中山郵便局(表記番地)の1軒南の道「クアオルトコース」を西に約150m行き、国道13号線上山バイパスの下を潜りすぐ右折して国道に沿って100m、左折すると間もなく右に小学校跡地(御役屋跡)があり、駐車できる[マップコード127 746 571*46]。その西に登り口がある。(地図)
200mほど登ると、右に草地となった三の丸があり、土塁が残る。その下を右に行くと、曲輪があり井戸がある。
戻って三の丸の上段に二の丸があり、その西に帯曲輪がある。比高約60mの山頂本丸の手前に堀切があり、本丸の北側に土塁が残っている。
中央に天守台があり、西から北にかけて石垣が残っている。天守台には「天守山大神」、「植林記念碑」の石碑が建てられている。
【歴史】 永禄・元亀(1558~73年)の頃、伊達輝宗の家臣中山弥太郎(中山の地名の起源)が最上領から防備するため、天守山に三の曲輪、二の曲輪、本曲輪の三段の曲輪の城を築いた。
天正十八年(1590年)の奥州仕置で蒲生氏郷が会津に入封すると、蒲生郷可が中山城に入った。
慶長三年(1598年)会津に上杉景勝が入ると、上杉氏家臣横田旨俊が入城した。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、ここから最上氏領に侵攻した。
戦後、中山城は破却され、中腹に米沢藩の御役屋が置かれた。