中沢城 (なかざわじょう)
最寄地 千葉県鎌ヶ谷市道野辺中央5-6-25 2015.12.31
中沢城 (なかざわじょう)
最寄地 千葉県鎌ヶ谷市道野辺中央5-6-25 2015.12.31
道野辺八幡宮
参道西側の空堀
参道西空堀
土塁
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 東武野田線「鎌ヶ谷駅」より南西約500mに位置し、道野辺八幡宮 (表記番地)の参詣用駐車場(地図)がある。
参道横より西に行くと空堀・土塁があり(神社と城の境界)、更にビニールハウスの西に土塁(地図)がある。土塁との間が城跡と思えるが、現在民家があり、ビニールハウスの畑となっている。城跡は私有地となっている。
【歴史】 伝説として、平将門が下総を征服し、市川大野の地に宮殿を建てた折り、中沢城を築いた。
八幡宮の由緒によれば、鎌倉時代中沢城(東城西城)の築城に関わり、城地の鬼門に、厄除け、武運勝運守護神として誉田別尊(ほんだわけのみこと)他を奉祀した。
戦国期には中沢壱岐守がこの城に拠っており、『東国戦記実録』の「高城兵庫、荒木三河守中沢・余奈木・市川三ヶ城を落とす事」の項によると、小金城の城主高城兵庫頭と柴崎城の城主荒木三河守が計らって、幕張の武石氏を攻める計画をし、手始めに中沢城に押し寄せた。守将中沢壱岐守は、兵力も少なく降伏をせざるを得なかったと記されている。