下煤孫館 (しもすすまごたて) (下須々孫城・煤孫城・観音館・古館)
所在地 岩手県北上市和賀町煤孫5地割 2017.10.25
下煤孫館 (しもすすまごたて) (下須々孫城・煤孫城・観音館・古館)
所在地 岩手県北上市和賀町煤孫5地割 2017.10.25
登城ルート
南西の2郭
土橋・空堀
空堀(南方向)
空堀(北方向続き)
主郭
主郭の古舘神社
下煤孫館跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 和賀川右岸の比高約30mの段丘上に築かれ、南北約250m東西約170mの規模を持っている。帯郭を備え、2郭との間に深い空堀が残っている。
同じ和賀川右岸の東約2㎞に岩崎城、西方約2㎞に上須々孫館がある。
【案内】 県道225号線より南に行った古舘神社が館跡に建てられており、西側の車道に路駐できる[マップコード 108 392 308*70]。
畑となった2郭より空堀・土橋を通って東に主郭がある。神社入口階段横に説明板があるが、褪せて判読不能であった。
【歴史】 南北朝時代、下須々村は和賀越前守行義の所領であった。
暦応三年・興国元年(1340年)北朝方に寝返った鬼柳義綱と岩崎楯で戦ってこれを敗ったが、観応三年(1352年)頃北朝方の和賀基義に敗れ所領は和賀氏に没収され、一族に分割されたという。
慶長五年(1600年)の岩崎一揆の際、和賀氏と南部氏が戦った大手門の守将は上野義重であった。