武茂城 (むもじょう) (県の史跡)
所在地 栃木県那須郡那珂川町馬頭2576 2015.1.25
武茂城 (むもじょう) (県の史跡)
所在地 栃木県那須郡那珂川町馬頭2576 2015.1.25
登城ルート
城跡碑
静神社
二の丸
空堀・土橋・本丸虎口土塁
本丸・櫓台
本丸北空堀
武茂城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【案内・感想】 馬頭小学校東の丘陵にあり、静神社(表記番地)が出丸跡に建てられ、参詣者駐車場が用意され、「武茂城跡」の石碑が建てられている[マップコード222 545 323*87](地図)。
155段の階段(奉納碑あり)を登ると、出丸に静神社拝殿(明治三十三年遷座)が建てられ東に武者溜り跡がある。
中間に説明板、城址碑が建てられ、遊歩道を登りしばらく行くと三の丸跡があり、薬研堀がある。二の丸と本丸を囲むように空堀、その外に土塁がある。土橋、虎口を入ると、二の丸で杉林となっている。その北に比高約60mの山頂に本丸跡があり、天守櫓跡、土塁が残る。
平成二年(1990年)1月26日、乾徳寺と併せて栃木県の史跡に指定された。
【歴史】 宇都宮城主景綱の三男泰宗が正応・永仁(1288~99年)の頃、武茂庄十余郷の領主となって、武茂氏を称した。
その後、時景・泰藤・氏泰・綱家・持綱と続いた。応永十四年(1407年)宇都宮宗家に嗣子なく、持綱が宗家を継ぎ武茂氏は一時絶えた。
その後、持綱の曾孫・正綱が武茂氏を再興した。しかし、正綱も宗家を継ぐことになり、三男兼綱が相続し、1万石の領主となった。
戦国時代に入り武茂氏は佐竹、那須両氏の抗争に関わり、守綱を経て、慶長四年(1599年)豊綱の代に佐竹氏に降り常陸大賀村に移され、武茂城は佐竹氏の家臣・太田五郎左衛門の居城となった。
慶長七年(1602年)佐竹氏が秋田に移封され、廃城となった。『栃木県教育委員会説明板』より。