山川綾戸城 (やまかわあやとじょう) (山川城・綾戸城)
所在地 茨城県結城市山川新宿470 2018.2.17
山川綾戸城 (やまかわあやとじょう) (山川城・綾戸城)
所在地 茨城県結城市山川新宿470 2018.2.17
堀跡
土塁・案内板
土塁
山川綾戸城 土塁跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 】
【感想】 鬼怒川の西、山川館の南西約3.5㎞に築かれていた。遺構はほとんどないが、山川綾戸城土塁が残されている。その南西側に堀跡のような低くなった水田が帯状に見られる。
結城氏の家臣でありながら、結城郡の南半分を任されていた石高から見て、城域は相当の規模と思われる。
土塁は3郭の北西にあったと思われ、主郭は南東にあったとされる。
【案内】 県道23号線に面した結城寺(結城市山川新宿101)斜め北より西に山川不動尊前を通って西に行くと、山川綾戸城土塁が残されている[マップコード45 808 687*60]。
【歴史】 鎌倉時代の寛元元年(1243年)結城氏初代朝光の4男・山川五郎重光が山川庄の地頭に任じられ、山川氏を名乗り山川館を構えた。
永禄八年(1565年)14代山川駿河守氏重は綾戸城を築いて移った。
関ヶ原合戦の後、慶長六年(1601年)結城秀康が越前国福井へ転封となると、山川16代讃岐守朝重も追従し、廃城となった。