土呂陣屋 (とろじんや)
最寄地 埼玉県さいたま市北区土呂町1510 2015.12.23
土呂陣屋 (とろじんや)
最寄地 埼玉県さいたま市北区土呂町1510 2015.12.23
説明板
地蔵堂・説明板
南西側土塁
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道35号線より東に約250m行き右折した台地に地蔵堂(表記番地)がある[マップコード3 601 623*14](地図) 。その南方に説明板が建てられている。
地蔵堂の北西側は整地され、南西側は舗装された駐車場となっている。その東の民家横に土塁(地図)が残っている。塀に囲まれた薄田氏屋敷が北東に隣接している。
【歴史】 初代初鹿野(はじかの)昌久は、甲斐国武田氏の家臣であったが、天正十年(1582年)武田氏滅亡後、徳川家康に仕えた。
天正十八年(1590年)徳川家康の関東入国に伴って、土呂村の旗本領主となりこの地蔵堂付近に陣屋を築き、以来幕末まで知行した。
地蔵堂は近くにある同家の墓守堂として建てられたものとも云われているが、『新編武蔵風土記稿』には「村民の持」と記されているのみで、その創建や由来については詳かではない。
また、同氏が甲斐国から勧請したという御嶽社は、幾度かの変遷を経て、現在隣の薄田氏屋敷内に祀られている。また、東武線南側の墓地跡には初鹿野氏の墓碑が残っている。『さいたま市説明板』より。