稲村城 (いなむらじょう) (国の史跡)
所在地 千葉県館山市稲 2015.4.4
稲村城 (いなむらじょう) (国の史跡)
所在地 千葉県館山市稲 2015.4.4
登城ルート
水往来
中郭
正木様
堀切
主郭・土塁
祠
稲村城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【案内・感想】 国道128号線「稲交差点」より南に内房線をこえ、約150m行くと、指呼標識があり、右折西に100mほど行くと、「稲村城跡」の説明板が建てられている。その先約200mに入口がある(地図 )。その南の水田横に駐車スペース[マップコード 211 289 152*11 ]がある。
「水往来」と呼ばれる道を西に行き、削岩した狭間を抜け、右に行くと里見氏の家臣正木氏を祀る「正木様」と呼ばれる宮があり、その左手に「中郭部」の曲輪がある。
堀底道を少し行くと指呼標識があり、右に登って約200m行くと、堀切があり、鳥居の横に帯郭があり、南西の虎口に着く。東西約70m南北約50mの主郭の南から東にかけて高さ3mほどの土塁が良く残り、虎口横の最も高い櫓台に石祠が祀られている(鳥井の宮か)。
また北と西側に切岸がある。北東にも虎口があり、下って行くと堀切が残り、竹林の中に土橋、曲輪、土塁、堀切がある。
平成二十四年(2012年)1月24日、「里見氏城跡」として岡本城跡と共に国の史跡に指定された。
【歴史】 伝承では文明十八年(1486年)に里見初代義実が築城し、延徳三年(1491円)に完成したとされるが、確証はない。
ただ、築城が15世紀後半と推定されること、里見氏最初の本拠地とされる白浜城との間で道が整備されていたことが知られていることから、里見三代義通・四代義豊の時代には里見氏の本拠地となっていたとみられている。
天文二~三年(1533~34年)の里見氏の内紛によって里見義豊が五代となった義堯に滅ぼされるまでの前期里見氏の居城であった。
内紛を収めた里見五代義堯が、本城を滝田、宮本方面へ移すと使用されなくなり、自然廃城となった。『館山市教育委員会説明板』より。