今村城 (いまむらじょう)
所在地 群馬県伊勢崎市稲荷町772 2015.8.30
今村城 (いまむらじょう)
所在地 群馬県伊勢崎市稲荷町772 2015.8.30
説明板
東側
民家南西側
城跡碑・説明板
北側の畑
今村城本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 表記番地の民家に城跡碑と説明版が建てられている[マップコード20 557 796*35]。
グーグルマップで見ると長辺が約110m、短辺が約100mの逆三角形となっており、南の頂点一帯に民家がある。民家の北側は畑となり、西端に細長く土塁跡と思える高まりがある。
昭和四十一年(1966年)4月12日、伊勢崎市の史跡に指定された。
【歴史】 今村城は、戦国時代に佐井・那波の両郡を領有した那波氏の居城の一つで、城郭は韮川の蛇行点の北西に東西南北約400mの縄張りがあった。
本丸は台地を利用して三角状に築かれ、本丸を中心に輪郭式に諸郭が囲んでいた。本丸の三隅には古墳を利用した櫓台があったと伝えられている。
『伊勢崎風土記』によると、那波宗俊が築城したものと伝え、天正年間(1573~92年)に一時上杉勢の金山城攻撃の拠点となった。
耕地整理以前は土囲いや堀跡が認められたが、現在は本丸跡のみがわずかに痕跡を残している。『伊勢崎市教育委員会説明板』より。