長野原城 (ながのはらじょう) (町の史跡)
最寄地 群馬県吾妻郡長野原町長野原192-1 2019.2.3
長野原城 (ながのはらじょう) (町の史跡)
最寄地 群馬県吾妻郡長野原町長野原192-1 2019.2.3
登城ルート
薬師堂
箱岩
出丸・三角点
本丸址の石碑
大堀切
本丸・櫓台
長野原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 吾妻川左岸の長野原町長野原にある標高752mの山頂に本丸があり、南西に大堀切や郭がある。
東側の尾根に浅い堀切が2ヶ所あり、秋葉社跡の郭や、東端に箱岩出丸が見られる。
【案内】 国道145号線「ぐんまみらい信用組合」(表記番地)の道路向かいに「瑠璃光薬師堂」の標識があり、その2軒東の「長野原中央無料駐車場」が利用できる[マップコード295 452 727*62](地図)。
路地を北に行くと「長野原城」の標柱があり、その前を右に行き、JR吾妻線の跨道橋を渡って、登ると「薬師堂」があり、その左より西へ登る。
ジグザグに登ってゆくと箱岩と呼ばれる断崖前に出、左に向い鉄の階段より登る。階段付け根に、小さな井戸がある。
階段先を左斜めに登ってゆくと尾根の堀切に着く。右へ登ると出丸で三角点が設置されている。
戻って堀切から西に行くと、秋葉社跡の郭があり、土塁上に「秋葉山大神御祭神跡」の石碑が建てられ、西側に武者溜がある。さらに西に登ってゆくと、本丸櫓台があり、「長野原城本丸趾」の石碑と説明板が建てられている。
本丸の南西に大堀切があり、2段になった郭がある。
平成二年(1990年)3月27日、長野原町の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は明らかでないが、戦国時代、吾妻地方は武田方の真田氏と上杉方の斎藤氏の攻防が続いていた。
永禄五年(1562年)斎藤憲広を降した武田氏が、真田幸隆の弟・常田隆永を城将として守らせた。
翌六年(1563年)、岩櫃城斎藤氏に味方した羽根尾城主・羽尾長門守、能登守兄弟によって長野原城は奪還されたが、間もなく武田方が取り戻した。
天正十年(1582年)以降の動向は不明で、廃城時期も不明である。