成東城 (なるとうじょう) (鳴戸城)
最寄地 千葉県山武市成東2652 2014.1.22
成東城 (なるとうじょう) (鳴戸城)
最寄地 千葉県山武市成東2652 2014.1.22
公園入口
空堀・本丸土橋
空堀
本丸愛宕曲輪
二の丸城之内曲輪
成東城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道76号線より団地への道を登ってすぐ、団地の東に「成東城跡公園」がある[マップコード137 078 088*25]。
入ると二の丸跡(地図)があり、その北に土塁・空堀を経て土橋を渡ると、本丸曲輪があり「愛宕神社」(表記番地)が祀られている。その間の土塁は二重となっている。
本丸、二の丸城之内曲輪に標柱が立てられ、東に成東市街が眺望できる。作田川右岸の独立丘陵上に占地し、空堀および土塁により大きく五つに区画されていた。
【歴史】 当地に勢力を張った千葉氏の家臣・印東四郎により応永年間(1394~1428年)に築城されたと伝わる。
その後一時、成東城は廃止されたが、享禄三年(1530年)千葉勝胤により再興され、子の胤貞が入り成東八郎を称したと伝わる。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の際に成東城も落城し、同戦役後2万石で成東に封じられた石川康通、青山忠成らが入城した。
元和六年(1620年)青山氏が岩槻城に移封され、廃城となった。