石田城 (いしだじょう)
最寄地 神奈川県伊勢原市石田928 2022.8.6 8.19
石田城 (いしだじょう)
最寄地 神奈川県伊勢原市石田928 2022.8.6 8.19
堀跡の窪み
水神様
水神様掲示板にあった縄張り図(右が北)
本丸東側の切岸
石田為景・為久の五輪塔
石田城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 円光院北側台地に本丸があり、アパート敷地や空き地となっており、切岸状の崖が見られる。一帯は建売住宅が工事中で、本丸にもそのうち住宅が建つのかも知れない。
水神様の北西側のアパートと駐車場の間が幅2mほどの低地となっており、外堀跡と思われる。アパートが建つ以前は雑木林で土塁も残っていたようだ。
【案内】 水神様の掲示板に縄張り図が張ってあり(地図)、それによると円光院(表記番地)の北側の台地が本丸とされ、6階建てのアパートが建てられ、南側は空き地となっている。
北側の外堀跡は駐車場横に帯状に一段低く砂利が敷かれて残っている[マップコード15 581 132*17]。
円光院本堂右から直進した、本丸切岸手前の墓地に石田為景・為久の五輪塔が祀られている(地図)。
【歴史】 寿永三年(1184年)「粟津の戦い」で木曽義仲を討ち取る大功を挙げた石田為久の居城として知られている。
宝治元年(1247年)三浦泰村が北条時頼の策謀にかかり鎌倉で挙兵すると、三浦氏の庶流・石田氏もこれに加わった。結果的に時頼に敗れ、泰村は妻子一族郎党と共に鎌倉の法華堂で自害、石田氏も宗家と共に滅亡した。