横内城 (よこうちじょう) (鏡城・堤城)
所在地 青森県青森市横内亀井146−1 2015.7.5
横内城 (よこうちじょう) (鏡城・堤城)
所在地 青森県青森市横内亀井146−1 2015.7.5
山門
横内城址碑
城主堤弾正・同室碑
常福院本堂
龍神庭
南空堀
横内城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 常福院(表記番地)が横内城跡に建てられ[マップコード99 377 527*44] 、東西約80m南北約180mの長円形の規模である。特徴的な門があり、百万遍の石塔が建てられている。
門の先に「横内城址」石碑、「城主堤弾正則景・同室常福院」の石塔が建てられている。本堂東は10mほどの崖となり、南に空堀が残っている。二の丸、三の丸があったとも言われ、それを含めると東西167mにほぼ円形である。
南北の堀は幅10~15m、深さ7~8mである。西側の堀は幅8m、深さ2mであり、龍神庭となり、合子沢川が天然の堀をなしていた。遺跡の発掘がさほど行われず、当時の資料にも曖昧な点が多く、今なお不明な点が多い城郭である。
【歴史】 三戸南部氏の外ヶ浜統治の拠点として、明応七年(1498年)南部信時の四男、南部光康が横内城を築城し、堤氏を名乗った。
光康の孫景行は津軽郡代として大光寺城に移り、景行の弟康行(三代則景)が横内城主となり、堤弾正を称した。
横内城は天正十三年(1585年)大浦為信により攻略され、城主四代堤弾正は討死した。その後、外ヶ浜横内城番十人衆を置いた。
万延二年(1861年)常福院に百万遍の石塔が建てられた。