八幡崎城 (はちまんざきじょう)
最寄地 福島県須賀川市岩崎36−1 2020.5.24
八幡崎城 (はちまんざきじょう)
最寄地 福島県須賀川市岩崎36−1 2020.5.24
登城ルート
ここから東へ
北側土塁
八幡神社
北側土塁
屈折した土塁
2郭
八幡崎城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 須賀川市岩崎の標高274.3mの八幡山に築かれている。主郭は周囲を土塁で囲まれ、八幡神社が祀られている。
北側土塁に供養碑が建てられ、西側土塁に三角点がある。南側土塁は横矢が掛るように屈折しており、南に細長い2郭があり、南西側に堀切が残っている。
【案内】 県道63号線「古殿須賀川線」より南に行った表記番地南に空き地があり、そこから東に未舗装道が城跡まで続いている[マップコード61 433 070*01](地図)。空き地に停めて歩いても大した事はない。
車の腹を草で擦りながら東へ約300m行くと土塁北側に着く。
【歴史】 築城年代は定かではないが、須賀川城の西約1kmにありその支城として築かれた。
天正十七年(1579年)伊達政宗が須賀川城を攻撃した際、須賀川勢との激戦地となった。
須賀川勢は大将を須田美濃守盛秀が務め手勢2百騎を率いた。他に塩田右近大夫、鈴木六郎左衛門尉・泉田将監・須田源蔵など鉄砲3百挺と佐竹氏の援軍が八幡崎城に籠った。
伊達勢は先陣長沼新国上総介、次陣白石若狭守、後陣四保但馬守などが攻めたて激戦となった。
須賀川城が落城すると、須田盛秀は自身の和田城に火をかけて常陸に落ち、その後佐竹義宣に仕えた。