塩原城 (しおばらじょう) (塩原要害城)
所在地 栃木県那須塩原市中塩原 2015.2.7 2017.4.26
塩原城 (しおばらじょう) (塩原要害城)
所在地 栃木県那須塩原市中塩原 2015.2.7 2017.4.26
説明板
登城ルート
虎口・説明板・切岸
虎口・切岸
虎口横土塁
溝
東土塁・曲輪
塩原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 塩原盆地の奥まった丘陵と箒川と善知鳥沢(うとうざわ)の合流点にある。塩原要害城は東西約300m、南北約250mの外郭を持ち、その中心に約30m四方の本丸がある。
【案内】 国道400号線「上塩原」交差点の西約130mの橋を渡ってすぐ右折し、約900m行くと三叉路がある[マップコード548 215 644*86](駐車場はない)。
民家の東に沢がありその東に切岸、虎口、説明板があり、土塁が残る。東に約35行った中央の南北に溝がある。
更に約35m行った杉林の中に土塁、空堀が南北に屈曲して残っている。
昭和五十年(1975年)3月3日、塩原町(現那須塩原市)の文化財に指定された。
【歴史】 治承二年(1178年)、豪族塩原八郎家忠が塩原要害城を築いた。
その後、君島信濃守、橘伊勢守の居城となり、文亀二年(1502年)小山出羽守の手により大々的に改築され現在の城郭になった。
戦国時代末期に塩原越前守の城となり、慶長二年(1597年)塩原小太郎が城主の時、宇都宮氏22代国綱の改易と共に、廃城となった。『那須塩原市教育委員会説明板』より。