万木城 (まんぎじょう) (万喜城)
所在地 千葉県いすみ市万木 2015.4.4
万木城 (まんぎじょう) (万喜城)
所在地 千葉県いすみ市万木 2015.4.4
説明板
大手
腰郭
主郭虎口・土塁
展望台
万木城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 比高約50mの丘陵にあり「万木城跡公園」となっている。トイレ駐車場と頂上駐車場間は信号による交互通行となっている。駐車場[マップコード 130 174 343*8 ](地図)の北に削平地がある。
東に説明板が建てられ、登るとすぐ腰郭があり、遊具が設置された児童公園となっている。
南に主郭の広い舗装面があり南東端に米蔵があったとされる土塁がある。反対側登り口に「小野次郎右衛門説明板」が建てられ、櫓台に城郭風の展望台があり、「城山公園」の石碑が建てられている。
砂岩の台地の周囲を削り崖とした崖端城で、空堀は見られない。
【歴史】 在城については、土岐氏九代説(時政‐光頼‐頼金‐頼為‐頼元‐頼房‐頼定‐為頼‐頼春)や五代説(後半の五名)、三代説(後半の三名)がある。
伝承では、摂津富山城から来た頼元(元頼)が安西氏に仕え、後に里見義実の配下になったと云われる。
土岐頼春の頃、天正末期には小田原北条氏に属し、天正十七年(1589年)、土岐氏と里見氏の戦いが起き、里見氏方の正木時堯と戦った。
天正十八年(1590年)小田原落城により、北条氏と運命を共にした。
城址には当時のものと思われる井戸や落城の時に焼けた米が炭になって、米蔵であったと思われる南側の台地の土中にまで散在している。『夷隅町教育委員会説明板』より。