湯殿山城 (ゆどのさんじょう)
所在地 群馬県高崎市上室田町 2021.1.28
湯殿山城 (ゆどのさんじょう)
所在地 群馬県高崎市上室田町 2021.1.28
登城ルート(緑線は車道)
駐車場所・入口
右尾根へ(北の郭)
北郭南の堀切
湯殿山頂上
民家西の平坦地
湯殿山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 烏川が大きく蛇行する左岸の標高370mの山頂に築かれている。
足を伸ばすのを失念したが、やや低くなった西側に東西に細長い主郭があり、北尾根に堀切、北郭がある。また東麓に廃屋のある平坦地がある。
【案内】 国道406号線の「湯殿山トンネル」東側より南に約200m行くと、民家への入口がある[マップコード705 191 125*81](地図)。
そこより南に50m程行き、右の尾根に登ると細長い北郭があり、大堀切がある。
さらに尾根を登ると、細尾根に出、右回りに進むと山頂があり、北側が断崖となっている。その西に少し下ると、東西に細長い主郭がある。
戻って東側の道を下りT字路を左に行くと、門があり、その先に平坦地が見られ民家(廃屋)が建っている。
【歴史】 吾妻太郎行盛は、貞和五年(1349年)碓井の里見義時に敗れ自刃して果てた。
行盛の長子斉藤憲行は伯父の斉藤梢基の養子となり延文二年(1357年)出羽三山に赴き戦勝祈願をし、里見氏を討って岩櫃城を奪回し斉藤氏六代の祖となった。
湯殿山の名は、出羽三山大権現を勧請したことに因んでいるといい、この城は斎藤氏の一族もしくは家臣が城主になったと思われる。