諏訪山城 (すわやまじょう)
最寄地 栃木県鹿沼市深程1615 2018.9.8
諏訪山城 (すわやまじょう)
最寄地 栃木県鹿沼市深程1615 2018.9.8
登城ルート(緑線は車道)
登り口
南側の長い竪堀
4郭手前の堀切
4郭
3郭(奥に2郭)
2郭
2郭主郭間の堀切
主郭・三角点
北腰郭から見た主郭切岸
諏訪山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高100m】
【感想】 粟野城の南東約4㎞に位置する鹿沼市深程の標高223.9mの山頂に築かれている。長大な竪堀や横堀が良く残っており、また堀切も3ヶ所ほどあり深く、見応えがある。
【案内】 県道37号線より西に行った無量寿院(表記番地)に駐車できる[マップコード722 280 393*50] 。
すぐ南の民家横に登り口があり、少し登ると給水施設があり獣除けフエンスが設けられている。
そこから大手道があり左側に土塁付の長大な竪堀が尾根まで続き堀切につながっている。
虎口を入ると、北に傾斜した広い郭があり、その北に堀切と横堀があり東側下段に5段ほどの郭が階段状に無量寿院の方へ向け並んでいる。
北に登ると左右に平坦地のある4郭に着き、その先に九十九折の堀道が続いている。3郭は広く、東側尾根にまで伸びており、上段に細長い2郭がある。北側は細くなり、深い堀切を挟んで主郭虎口がある。
主郭は20m四方ほどで三角点があり、北側下段に腰郭を伴っている。その先は、下ってみたが自然地形の崖になっていた。
【歴史】 諏訪山城は室町時代末期に、粟野城主であった平野大膳によって築かれたという。
天正十六年(1588年)には佐竹氏の援助を受けた宇都宮国綱が皆川領に侵攻し、皆川広照自ら諏訪山城に拠ってこれを阻止せしようとしたが攻められて落城し、広照は布袋ヶ岡城に逃れたという。