久保田城 (くぼたじょう) (矢留城・葛根城・秋田城) (日本100名城9)(日本さくら名所100選)
所在地 秋田県秋田市千秋公園1-4 2013.8.2
久保田城 (くぼたじょう) (矢留城・葛根城・秋田城) (日本100名城9)(日本さくら名所100選)
所在地 秋田県秋田市千秋公園1-4 2013.8.2
大手門通り・水堀
二の丸跡
復元表門
本丸跡
本丸・佐竹義尭公銅像
復元御隅櫓
帯曲輪門跡
久保田城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 県道28号線「千秋城下町」交差点より南に大手門通りがあり、堀が残っている。「久保田町」交差点を右折西に一方通行道路に沿って堀がある。
県道28号線「千秋公園入口」交差点より北に行くと、「市立佐竹資料館」(表記番地)の前に駐車場がある[マップコード303 780 098*47](地図)。
「千秋公園」となっており、駐車場の先に二の丸広場があり、北に登ると復元表門(平成十三年)がある。表門を入ると本丸跡に出て、佐竹義尭公銅像が建てられている。
北の土塁の上に御隅櫓(平成元年鉄筋コンクリート造)が復元されている。東に帯曲輪門跡がある。二の丸の東は庭園が造られている。
【歴史】 慶長七年(1602年)九月久保田藩初代藩主となった佐竹義宣が水戸城より移り、安東氏の居城であった出羽湊城に入城し、翌年神明山に築城着手した。
慶長九年(1604年)窪田城竣工、湊城を破却しこの年他藩へ通じる主要道が完成した。1633~45年頃窪田城から久保田城に改称された。
明治維新まで佐竹氏が治め、最後の藩主は安政四年(1857年)七月出羽岩崎藩7代藩主から移り久保田藩12代藩主を継いだ佐竹義堯であった。
明治元年の戊辰戦争で新政府軍に付いたため庄内藩に攻められた(秋田戦争)が、城下に至るまでに撤退したため戦火を免れた。明治二年(1869年)六月十七日、版籍奉還で秋田藩知事に任命された。
明治四年(1871年)廃藩置県で秋田藩は秋田県となり、義堯は免職となった。明治六年存城処分となったが、明治十三年(1880年)の大火により城内の建物はほとんど焼失した。