総社城 (そうじゃじょう)
最寄地 群馬県前橋市総社町総社1314-10 2018.1.20
総社城 (そうじゃじょう)
最寄地 群馬県前橋市総社町総社1314-10 2018.1.20
城川公園
説明板
遠見山古墳(南西より)
秋元元景の墓
総社城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 利根川右岸に築かれていた崖端城で、本丸は利根川氾濫で崩落したという。南西の二の丸、三の丸は宅地化し、旧状は堀跡の一部と二の丸中央にあった物見台だけとなっている。
【案内】 表記番地北の城川公園東側に説明板が建てられている[マップコード20 875 110*08 ]。その東側に堀跡と思える低地がある。
また、南方約200mにある城川公民館(総社町総社1373-2)南の遠見山古墳が物見に使われたという。
北西約500mの元景寺(前橋市総社町植野150)は、秋元長朝が父元景(景朝)の菩提を弔うために建立した寺院で、境内の奥には秋元元景の墓がある。
【歴史】 慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いのとき、徳川家康の使者として会津の上杉景勝の元へ赴き降伏を受け入れさせた。この功によって1万石の所領を得た長朝は蒼海城に入り、慶長六年(1601年)秋元長朝によって築城着工された。植野堰の開発と城下町造りを併せて行い慶長十二年(1607年)完成した。
寛永十年(1633年)秋元泰朝のとき、1万8千石に加増され甲州谷村城(都留市)へ転封となり、廃城となった。